2008-02-28

常識と非常識。

常識と非常識。

あなたなら、何が常識で、何が非常識だって思います?

たとえば、
  • 「ダブルドリブル?ドリブルしたボールをつかんだ後、またドリブルすること。バスケットボールやっている人なら常識でしょ。」
  • 「電子メールで先方に見積もり送ったまま?電話で確認してないって、ビジネスマンとして非常識でしょ」
など、など。

この2つの例を見ると、それぞれの常識と非常識という定義が、立場によって違いあり、共通の基準がないことにお気づきですか?

常識というと、一般的に社会で認識しされている物事を指しますが、絶対的なものってないんですよね。

一人ひとりが生まれ育った環境や生い立ち、その人が生きている時代とか、周囲の環境によって常識って変化するものなだなぁと思いませんか?


たとえ話その1

たとえば、20年前に携帯電話が将来一人1台、あるいは会社用とプライベート用の2台を持ち歩くなんて考えられたでしょうか。

20年前だと、そんなことを考えるのは非常識だったでしょうが、いまやそれは常識。

こんな風に時代によって、常識と非常識といわれる物事が変化しているということ。


たとえ話その2

さらに、最初にも書きましたが一人ひとりのこれまでの経験からくる常識や非常識もあるわけです。

わずか数百メートル先の場所に行きたいのに、タクシーを使う。

これは常識でしょうか、非常識でしょうか。

一般には、わざわざお金を払わずに歩いていったほうが良いという意見が常識として考えられるでしょう(って、ここで勝手に仮説を立てるのも非常識といえば、非常識)。

しかし、初めての土地で道筋がわからないし、探す手間と時間を考えたら、タクシーでその場所に行ったほうが効率的であるという視点から見ると、実に常識的な考え方に見えるわけです。


個人の固定概念で常識と非常識は変わる

最初に紹介したバスケットボールでの常識や、仕事における非常識も、スポーツや仕事を始めたばかりの人には、その時々にどのような対応をして良いかわからないわけで、どうしてよいかわからないことが、その人にっとては常識といえるわけです。

逆に経験を多く積んでいる人は、状況に対するベストな対応の仕方をしており、その対応の仕方が常識であるわけです。

つまり、その物事が発生している状況や条件、あるいは自分が置かれている状態によっても、常識というものが変化するということ。


常識のずれを理解して対応するには、相手の立場に立ってみる

人とのコミュニケーションにおいても、一人ひとりの置かれている立場や状況、生い立ちとかいろんな周辺環境の状況によって、ものの見方が変わり、常識と非常識と思えるものが違うんです。

こうしたことを踏まえて、スポーツや仕事をする際に、相手の側に立った見方で、話を聞いたり、自分の立場としてみたりすることで、同じ物事でも多面的にその出来事を見ることができる洞察力が高まるだけでなく、適切な判断も下せるようになるものです。

特にデザインのみならず、いろんな仕事においてアイデアを創出するクリエイティブな人たちは、こうした視点を持っていることが多いように思います。

問題・課題を解決するための方策を考たり、人にどのようなメッセージを発信すれば次のアクションを起こしてもらえるかを考えるときに、一度自分が思い込んでいる常識の定義を見直したり、ものの見方を変える作業を続けることで、色々な要素が組み合わされ、新しいソリューションのきっかけを見つけることができると思います。

こうした思考については、もっと理論立てて説明する必要があるかもしれませんが、なんとなく多面的に物事をみて判断する必要性があるというエッセンスだけでも感じ取ってもらえたらと思って書いてみました。

ただ、どんな時代変化においても、あるいは生活環境が違っても、みんなが共有できる常識というものがあることも忘れないでください。

時間の経過によって常識というものが変化しているいると考えれば、時々、自分の常識も疑ってみるとか、たな卸しをする必要があるかもしれませんね。

(こうした視点の話については、別の機会にもう少し時間をかけて、書いてみたいと思います)

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